
元気過ぎる男の子のお母さんやっています、Utakoです。
現在、元気いっぱいな息子と楽しい毎日を過ごしています。
しかし、出産直後はタフな日々を過ごしていました。
…というのも、息子が生後1日で「無呼吸発作」を発症してしまい、NICUのある総合病院へ救急搬送されたのです。
当時は常に不安で、心身ボロボロ。
一日に何度も息子を想って泣いていました。
そして、少しでもポジティブな情報を求めて、何度もブログやインスタグラムなどで「新生児 無呼吸発作」と検索していました。
本記事は、私自身が当時沢山の方のSNS投稿に助けていただいたので、「私もどなたかの参考になれば…」という想いで、息子の「新生児無呼吸発作」の発症から退院までを綴ります。
第一子誕生は、かけがえのない瞬間

2022年1月、初産で3,100gの男の子を出産しました。
39週0日で高位破水し、翌日に陣痛促進剤を使用して出産。分娩時間は約7時間の安産でした。
息子が生まれた瞬間は、忘れられません。
正直、母親になった実感はあまりありませんでしたが、初めて腕に抱いたときに感じた重みに、「ああ、本当に生まれてきてくれたんだな」と感動したことを覚えています。
この時は、「これから毎日、この子との生活が始まるんだな…」と、楽しみと不安と、どちらの気持ちも同じくらい込み上げてきました。
やり遂げた達成感と幸せで、胸がいっぱいでした。
↓出産レポはこちらから

息子が「無呼吸発作」を起こし、転院するまで

①出産翌日、「なんか顔色が悪い…?」と感じた違和感
私が入院した産院では、出産翌日から母子同室が始まりますが、最初の2日間だけは、夜間は休めるようにと21時までの母子同室となっていました。
生後1日目、21時のミルクを終え、ナースステーションへ息子を預けにいく準備をしていると、様子がおかしいことに気付きました。
表情は穏やかだけど、あまり動かない。
そして、なんだか顔色が悪いような気がする。
話しかけて撫でると、少し弱い感じはあったものの動いたので少しだけホッとしましたが…
赤ちゃんって、こんなもん…?
不安になってすぐにナースステーションに連れて行きました。
呼び出しに出てきてくれた助産師さんが、「顔色が悪い」という私の言葉にハッとして、息子の背中を強く撫でると、息子は「ワ―ッ」と泣きました。
「お母さんのおなかにいた時は、何もしなくても酸素をもらえていたから、生まれて間もない時は呼吸をするのを忘れてしまうことがあるの」と話してくれました。
助産師さんが、とても穏やかに話してくれたので、「そんなに緊急事態ではないのかな…」と思いましたが、とても不安で夫に電話しました。
②産院の先生から、NICUへの転院を告げられる

夫と電話をしていると、先生が病室に来て、「赤ちゃんの顔色がやっぱり悪いから、産院よりも専門的に見てもらえる総合病院へ転院したほうが良いと思う」と言われました。
「生まれた瞬間はしっかり泣いたから、大丈夫だと思うけど、念のため」と説明を受け、10分後くらいに救急車が到着。
先生が救急隊の方に「チアノーゼが…」と話しているのが聞こえました。
私はこの時点で息子の症状がどんなものなのか、何がいけないのか、よくわかっていませんでした。
気が動転していたのと、息子がどうなってしまうのか恐くて、詳しい症状を聞けませんでした。
助産師さんに、「しばらく離れることになるから写真を撮っておこう」と言われ、息子を抱いた写真を撮ってもらいました。この時の息子の顔色は戻っていました。
息子は助産師さんに抱かれ、車で50分程の場所にある総合病院のNICUへ運ばれていきました。私は同乗できませんでした。
とても寒い夜でした。
確か22時は過ぎていたと思います。
先生と一緒に産院の入口で救急車を見送る時、不安で悲しいけれど、どこか他人事のような、よくわからない感情で、入口にただ立っていました。
夜風が一瞬で身体を冷やしたことを覚えています。
楽しみだった我が子との生活は、想像もできなくなりました。
その日はベッドの中で朝まで、「新生児・無呼吸」「新生児・チアノーゼ」などと、インターネットやSNSで検索し続けていました。
時折助産師さんが心配して私の様子を見に来てくれました。
翌日、息子に面会へ
息子が救急搬送された翌朝。
産院の先生に外出許可をもらい、母に送迎を頼んで息子のいる総合病院のNICUへ面会に行きました。
新型コロナウイルスの感染防止対策のため、実母または実父しか面会ができないことになっていました。また実父・実母でも県外滞在者は、2週間の待機がないと入れませんでした。
里帰り出産だったので、夫は県外の自宅におり、実家に来ても2週間滞在しないと面会はできません。息子と面会ができるのは私のみでした。
NICUへは、いくつものセキュリティをチェックして、息子の保育器まで案内されました。
保育器の中の息子はおむつ姿で、頭から手足の指先まで、たくさんの複雑な管が繋がれていました。
その姿を見て、とてもショックを受けました。
昨日まで、おくるみにくるまれて、愛らしい姿を見せてくれていたのに…と、涙が溢れてきました。
ごめんね…
ただただ「ごめんね」という想いでいっぱいでした。
息子の身体を触って良いかもわからず、呆然と立っていると、主治医の先生と担当医の先生がやってきて、「呼吸を止めてしまうんですよね…」と、症状を話してくれました。
ここでやっと、息子の「無呼吸発作」の症状について明確に聞くことができました。

悪いことを聞きたくなくて、息子の症状について自分から医療従事者のどなたかに尋ねることができませんでした…
無呼吸発作の症状と、原因を調べるための検査

主治医の先生には、息子は生後1日目に産院で3回、NICUで2回、無呼吸になってしまったと聞かされました。
思い返すと、産院では、朝9時から母子同室になるはずなのに、11時過ぎてやっと会えたし、夕方が突然助産師さんに連れられて行って帰ってこなかった時間があったので、その時間はチアノーゼが出てしまっていたのだと察しました。
息子が呼吸を止めてしまう原因を探るために、沢山の検査を行うことになりました。
無呼吸発作の原因として疑われるもの
無呼吸になってしまう原因を見つけるために、様々な疾患を疑い、検査が行う旨の説明を受けました。主に以下の疾患に関する検査を行うと言われました。
- 感染症
- てんかん
- 脳の異常
- 気管の異常 等
最後に、 「検査を行って身体に異常がなければ、出産時のストレス等で一時的に呼吸を止めてしまうことがあるので、それかもしれない」ということを伝えられました。
そして、検査を受けるにあたり、同意書にサインが必要になります。
赤ちゃんなので大人しくしていられないため、身体を拘束することへの同意や、もし輸血が必要になった際にその血液にウイルスや病原体が含まれる可能性があること(ほぼないそうですが可能性はゼロではない)、その他いくつかの同意書にサインを求められました。
一度に様々な検査の説明をされ、しっかり理解できず呆然と言われるがままにサインをしてしまっていたと思います。
気が動転したままで、自分の頭で何も考えられず、お医者さまの言うことを聞いておかなければ…という気持ちでした。
不安な状況でも、もし夫と一緒だったら、もう少し冷静になれたと思います。
コロナ禍の規制を心底悔やんだ時でした。
検査結果
入院して約10日間の間に全ての検査を終え、幸いなことに感染症やてんかん、脳の異常は見つかりませんでした。
点滴、血液検査、継続的な脳波での観察やMRIなど、生まれてきたばかりの小さな身体でたくさん辛いことに耐えてくれました。
入院初日から数日は点滴での栄養補給がされていたので、今でも手の甲には複数の針の跡が残っています。
最終的に診断された症状の名前は、「新生児無呼吸発作」と「喉頭軟化症」でした。
新生児無呼吸発作
「新生児無呼吸発作」とは、簡単に言うと、生まれて間もない赤ちゃんが呼吸を20秒以上止めてしまうこと。
20秒以下の無呼吸で、徐脈だったり、中枢性チアノーゼを起こしてしまう場合も含まれるそうです。
生まれたばかりの赤ちゃんは呼吸中枢が未熟なため、日数が経つにつれて改善されていくというもの。
また、生まれる瞬間に肺の水が抜け切らないことなども原因になるのだとか。
早産で生まれた赤ちゃんや、帝王切開で生まれた赤ちゃんの方が発症することが多いようですが、正産期で生まれた赤ちゃんにもみられるそうです。
医師からは、どれが原因とは、明確な説明を受けませんでした。
逆に、どれも原因として考えられる…ようなことを仰っていました。
喉頭軟化症
「喉頭軟化症」とは、気管が柔らかいために呼吸に支障が出るといった症状です。
重度の場合は治療が必要になりますが、軽度の場合は、月数を重ねるごとに改善されるものだそうです。
息子の場合は、軽度で呼吸も自分で出来ているので治療は必要なく、定期健診なども必要ないとのことでした。
そもそも、赤ちゃんは大人よりもずっと気管が柔らかいもので、1歳になる頃には改善されるそうです。
先生曰く、息子の場合は無呼吸発作があったから検査をして、軽度の「喉頭軟化症」が見つかったけど、このくらいの症状を持った赤ちゃんは沢山いるだろうとのこと。
新生児の時期には特に普段呼吸をするときなどでも、喉から色々な音が聞こえました。事前に「喉頭軟化症」のことを知っておけたので、不安にならずに済みました。
「喉の方から聞こえる色々な音」は、2ヵ月、3ヵ月と月齢が上がる度に減ってゆきました。

その後、すくすく育ち、何事もなく1歳の誕生日を迎えてくれました!
呼吸器が外れたら、初めての授乳

呼吸器をつけている間は、直接授乳することはできませんでした。
なので、生まれてからずっとミルクか搾母乳を哺乳瓶であげていました。
初めて授乳の練習をした日、あまりうまくできなかったけど、とても嬉しかったです。
やっと「私、お母さんなんだ」という気持ちを感じられたような気がしました。

ずっと吸ってもらえなくて、母乳が出なくなるのでは…と心配していました。
初めての授乳の練習、とても嬉しかったのを覚えています。
退院してからは、責任の大きさに不安な毎日。
最終的に、17日間の入院生活でした。
毎日「いつ退院できるのだろう、症状が悪化しないよね?」と、不安を抱えてNICUへ面会に行っていました。
14日目、突然先生から「いつ退院したい?」と聞かれ、「そんな、私が決めていいの?」と驚きました。
検査は異常がなかったし、生後3日目以降は呼吸も安定しており、呼吸器も外せることになったから大丈夫とのことでした。
結局、授乳指導や沐浴指導をして17日目に退院しました。
実家に帰ってからは、1ヵ月を迎えるくらいまでは特に不安な毎日でした。
「家でもし無呼吸になってしまったら…」
「私が症状を見過ごしてしまって、もしものことがあったら…」
産院では同室で寝たこともなかったので、初めて一緒に寝た夜。
何度も呼吸を確認したり、息子が動く度に元気か確認したりと、一睡もできませんでした。
実家に父と母はいたけれど、夜間は一人。夜が来るのがとても恐かったです。
そんな私と息子。
2ヵ月くらいには、毎日隣で仲良く寝られるようになりました。
NICUにいる我が子にしてあげられること

生まれてすぐ離れ離れになってしまい、自分が母になった実感も持てず、よくわからない感情でいっぱいでした。
私は何者なんだろう…とすら思った時もありました。
産褥期に不安に悩まされ、毎日母乳を絞って片道40分かけて通った日々は、自分の身体にも大きなストレスを与えてしまいました。
産院の助産師さんからは、「無理して毎日通わなくても母親失格なんてことはない」「退院後にお世話を頑張れるように身体を休めておくことが赤ちゃんのためにできることの1つ」ということを仰ってくださいました。
でも、毎日息子に会い行ったことに後悔はないです。
そうしたかったし、そうせずにいられなかった。
産褥期の身体で無理をしないでと産院から言われていたし、私もさすがに疲れが溜まっていました。
でも、私には母乳を絞って面会に行くことしか息子のためにできることがなく、更に日に日に成長していく姿を一日でも逃したくありませんでした。
一方で、自分が健康でなければ、退院後の息子のお世話ができないと思っていたので、家にいる時は極力自分の身体を労わりました。
息子が入院した時に申請した助成制度について
産後ただでさえ不安定な心身なのに、息子のことが心配すぎて常に泣いている状態でした。
そんな中、正直医療費のことも心配でした…
我が家で申請した助成制度と申請手続きについては、こちらの記事にまとめました。↓↓

今は元気いっぱい成長しています!

当時は毎日不安で心労もありましたが、幸いなことに、今では「経験」として語れるくらいになりました。
今の息子は、無呼吸発作を起こしたと思えないくらいとても元気いっぱい。
NICU入院中のことや、無呼吸発作の経過に関すること、産褥期の母体に関することは別途記事にしたいと思っています。
私は息子がNICUに入院することになってから、無呼吸発作のことをインターネットでひたすら検索し、沢山の方のブログやインスタグラムで情報を収集させてもらっていました。
「新生児無呼吸発作」が日数が経過するとともに改善される症状だからといって簡単に「大丈夫」とは言えません。あくまで一つの例として参考にしていただければ幸いです。
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