最近、年老いてきた両親を見ると、切なくなります。
「いつまでも あると思うな 親と金」なんて言われるけれど、親の存在は当たり前ではないと、常々思っています。
そんな大切な両親なのに、私は母のことを「他人に会わせるのが恥ずかしい」と思っていた時期がありました。
そんな哀れな考え方しかできなかった自分を恥ずかしく思うとともに、決別したいと思い、ここに綴ります。
他人に母を見られたくないと思っていた学生時代

学生時代、自分の母を友人に見られたくないと思っていました。
大体、小学校6年生くらいから高校3年生くらいまでの間です。
単に「親といる自分が恥ずかしい」とかそういう思春期の問題ではなくて、同級生のお母さんよりも年老いて見える自分の母を見られるのが恥ずかしかったのです。
思い返せば、子ども4人を育てていた母は、自分の身なりにこだわりはなく、何年も同じ服を着ていました。
白髪が増えた髪も染めていなかったし、そもそも美容院にすら行っていなかったと思います。
子どもたちの学業や部活、習い事、食費などにお金がかかるから、自分の身なりに気遣う余裕もなかったのだと今ならわかります。
あの頃の自分が、本当に情けない。
でも、母のことは誰よりも大好きでした。
家に帰れば、学校であった様々なことを母に話していました。アドバイスをくれたり、ただただ聞いてくれたり…
母との何気ない時間は、本当に心地よかったです。それは、今でも変わりません。
幼い頃から全く自信のない私ですが、母だけは何があっても味方でいてくれるという絶対的な存在だったからだと思っています。
自分のことよりも娘たちのことを考えて行動する母。いつも自分のことは後回しで、きっとストレスも沢山溜めていたと思います。
そんな母に、「身なりに気を遣え、綺麗にしろ」なんて言えないですよね。
母に対してそんなことは一言も発したことはないけど、「母の身なりが友達のお母さん達より劣る」という、そんな考え方しかできなかった自分が本当に嫌です。
では、なぜ私がそう思うようになってしまったのか、いくつかのきっかけをご紹介します。
友人からの言葉に傷ついた
実は中学生の頃、母の容姿について、同級生に少々言われたことがありました。
私を迎えに来てくれた母を見て、その同級生は「ふーん、〇〇のお母さん、初めて見た。」と言いました。私は、「そう」と一言。同級生は、何か言いたげだったけど、それ以上は言いませんでした。
そして、他の子のお母さんを見て、「●●のお母さん若いね~」と言いました。
その同級生が、どんな思いで私にそう言ったのか、真実はわかりません。でも、なんとなく察した私は勝手にその友人の言葉と態度に傷ついていたのを覚えています。
そして、「うちのお母さんってダサいのかな…」と、思ったことが、初めて家族の見た目を気にした時でした。
高校の部活の顧問からの言葉に傷ついた
2つめは、高校時代のこと。
私の地元は田舎町で、人口10万人以下。しっかり自ら隠そうとしない限り、家も簡単にバレてしまいます。
ある時、部活の顧問に私の家がバレた時、「じゃあ、あの家からたまに出てくる、太ったおばちゃんが母ちゃんか。(身体の大きさを示すジェスチャーをしながら)結構これだろ?」と言ってきました。
教師がそんなレベルの発言をしてきたことにまず驚きました。
元々、圧力だけで生徒に言うことを聞かせるような体育教師だったし、今思えばセクハラ的な発言も平気でしていたいのですが、生徒の親の外見までハッキリと言ってくる品のなさにいよいよ嫌気がさしました。
そんな程度の教師なのだと思ったが、それでも高校一年生の私は傷つきました。

今だったら、あの教師に言い返してやるのに…
他人からの家族への評価で、自分自身を測るな

1番恥ずかしいのは、私自身だった。
1番恥ずかしい存在なのは、大事に育ててくれた母に対して、醜い考え方しかできなかった私自身ですよね。
なぜ、綺麗なお母さんが羨ましかったのでしょう?
そりゃ、褒められればなんでも嬉しいものでしょう。でも、自分自身が褒められているわけではありませんよね。
母への他人からの評価が、自分の評価になるとでも思っていたのだろうか?…と、複雑な心理です。
今なら、「他人の評価なんてどうでもいいよ」って思えますし、あの頃の自分に言ってあげたい。
子ども4人産んで、大事に育ててくれて、今でも良き相談者になってくれる自慢の母なんだって、胸を張っていられます。
あの頃は、母のことも理解できていなかったし、自分のことすら全く理解できていなかったのです。
学歴、容姿、持ち物、家庭環境…
自分にないものを持っている他人を羨ましがって、他人と同じように、もしくはそれ以上を求めていました。
そして、自分の手で何かを掴もうと努力もせず、ただただないものねだりをしていただけの子どもだったのです。
何が大事なのかを理解できていれば、きっと今みたいに胸を張って「お母さんが大好き」と言えたはずです。
人の家族を蔑む人なんて、大した人間じゃない
人の見た目は良いことに越したことはありません
。やっぱり、身なりを綺麗にしているのとしていないのでは、印象は違います。
しかし、もしあの頃の友人の中に、私の母を見て私のことを蔑むような友人がいたとしたら、もう今は親しい友人とは言えない間柄だと思います。
現に、中学・高校時代の友人とは数人を残してほとんど疎遠だし、教員なんて一切交流はありません。
そして、私の大切な母のことを蔑む人は、私のことも考えていないのだろうと思います。
そんな人とは、交わらなくていい。
私の大切な人をバカにするような人は、私にとって必要のない人間だ。
いつからかそう思うようになり、今に至ります。
自信は自分で身につける!

現在の私ですが、両親のことをどう見られるか、全く気にしていないわけではありません。
例えば、冠婚葬祭や親族とのちょっとしたお食事会の時くらいは、普段着よりはきちんとしてほしいな~と思ったりします。
でも、それは最低限の身なりを整えてほしいと思うくらいで、両親たちが気持ちよく、時に楽しく過ごせるようにという思いから。
家族がどう見られるかで、「自分がどう思われるか」を気にすることはなくなりました。
なぜかというと、私が本当に信頼関係を作れている人に対しては、私の家族がどう見られるかなんて、なんの問題もないことだからです。
ちょっと意味が違うかもしれませんが、「虎の威を借りる狐」のような私は、私じゃない。
家族のことを褒められても褒められなくてもどうでも良いです。(悪口言われるのは許さない!)
自信は自分で身につけていこうと思うようになってから、心も楽になりました。
両親が楽しいと思える時間を少しでも増やしたい

今は主婦なので、あまり高価な買い物はできないけれど、実家の両親が少しでも楽しいと思う時間を増やしていってあげたいと思います。
あまり多くを望まない両親へ
私自身のための親孝行でもあるのです。
私がそうすることで、感謝を伝えたいから。恩返しがしたいから。
少しでも多く、深く、両親に感謝を伝えて生きていきたい。
そう思っています。
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