最近よく「HSP」というワードを目にするようになりましたよね。
「HSP」とは、「Highly Sensitive Person(ハイリー センシティブ パーソン)」の頭文字で、「感覚がとても敏感で、感受性がとても強い気質をもつ人」という意味。
私は、「HSP」という気質を持つ人がいるということを知り、安堵感を覚えました。
これまで、自分の性格や体質に疑問や嫌悪感を抱いて生きてきたのですが、「もしかして、私はHSPの気質があるのかもしれない…」と考えたら、心の奥から「気質なんだったら、しょうがないね」と開き直りに似た感情が芽生えてきました。
今回は、「人間関係」に絞って、私について整理して文字に起こしてみようと思います。
人間関係に悩み始めたのは高校時代
私が「人間関係で悩み過ぎてしまう自分が嫌だ」と思い始めたのは、高校生の頃でした。
小学校、中学校、高校と、段々大きくなっていくコミュニティに、戸惑いを感じるようになりました。当時は気付いていなかったように思いますが、私は大勢の人とずっと一緒に過ごすということが苦手です。
特に、高校時代は、一番人間関係に悩みました。周りの目がすごく気になる年頃だったし、みんなと仲良くなりたいという願望もありました。
いつしか、必要以上に周りの人からどう思われているのかということばかり気になるようになっていました。
楽しいはずの会話も、1人になってから落ち込む
友達と楽しんだはずの会話なのに、帰り道や家で1人になってから、言動の1つ1つを思い返して、落ち込むことがあります。これは、30代になった今でもよくあります。
「〇〇さん、実はこんな意味だったんじゃないかな?だったら私…真に受けてバカみたい!恥ずかしい!」
「私の言いたいことは伝わったかな?〇〇さんのこと傷つけていないかな?」
「〇〇さん、機嫌悪そうだったけど、私がああやって言ったからかな?」
…など、会話を思い返しては、後悔や反省をして、ベッドに1人うずくまることもしばしば。
たまに、パートナーや仲の良い友達に悩みを話してみると、大体「気にしすぎだよ」と言ってくれるのですが、「そうだよね、気にしないようにしよう」と返事をするも、心の中に不安は残ったまま。
この一度抱えた不安は、中々消えてくれません。その後、「新たな不安」や「とっても楽しい出来事」があって、初めて塗り替えられます。厄介ですよね。
「人に嫌われる恐怖心」が人より強い
私の場合、自分の感情や行動を紐解いていくと、「人に嫌われたくない」という恐怖心が見えてきます。「人に迷惑をかけたら申し訳ない」「自分の言動や行動で人を不快にさせてしまったらどうしよう」という不安が大きく、自分を縛っています。
私は、自分1人なら、行動的で好奇心旺盛な方だと思っています。できるだけ様々なことにチャレンジして生きていきたいです。でも、他人が関わると急に臆病になってしまうのです。
不器用なくせに、周りと波長を合わせ、「人によく見られる感じの自分」を演じるのは本当に疲れるし、そもそも「演じている自分」も嫌で、これもまた自己嫌悪…
完全に負のスパイラルにハマってしまうのです。
解決のためには?
私は、嫌われてしまうかもしれない要素を、事前に摘んでおこうとすることに必死になって、色々考えすぎて自分の思いを伝えられないことが多々あります。
また、自分の意見を話す場では、周りの空気を悪くしたくないと思って、意に反して周りと同調してしまうことがあります。
冷静に考えると、自分が理不尽なことを言っているわけでもなく、感情的に何かを主張するわけでもないのに、突然嫌われることは、大抵の場合あまりないですよね。(なのに過剰に心配してしまうのが私)
そんな時、逆に、「そんな程度のことで嫌われるなら、その程度の人間関係だったんだな」と思うようにすることがあります。
これは極端かもしれないが、心は少し軽くなります。
時間が経ってまた色々思い出してしまうと、心配になることもあるが、この考え方は大抵一瞬は心を軽くしてくれるのです
こうやって、時折「開き直りの精神」を呼び起こして、現代社会を生きています。
今、「ありのまま受け入れよう」と、変わろうとしている私
冒頭で書きましたが、私はHSPという言葉を知り、救われたような気がしました。HSPという気質の存在を知り、人それぞれ対処方法があることも知りました。
私もこれから、少しずつ自分への対処方法を増やしていきたいと思っています。
有難いことに、今は主婦兼フリーターのような状態になり、フルタイムで正社員をやっていた昨年よりもストレスが激減しました。
同時に所得も激減しましたが、考える時間、休む時間、自分を知る時間だと思って、色々模索していこうと思っています。
自分との向き合い方にはついては、「HSP奮闘記」として今後も綴っていこうと思います。